武豊町立図書館は、アサリ池の水面に立つ水上図書館です。

アサリ池は、親水公園として町民の憩いの場となっています。
池の中に張り出した水上デッキ、池を一周できる散策路、水循環により 水質浄化を図る噴水、魚が住みつきやすいように設置された魚巣ブロックなど、 人だけでなく、魚、水鳥などの生物も憩える施設整備が図られています。
また、周辺には中央公民館や歴史民俗資料館があり、小・中学校にも程近く武豊町の文教ゾーンのひとつを形成しています。

武豊町誌 本文編(1984.12刊)には、次のような記述があります。

『 知多半島は、全国的にも有名な溜池の多い地方である。町内を歩いて田があれば、 その上方には、谷の大小を問わず、必ず溜池があると言っても過言ではない。
地形上、河川が細く短いので、降水は溜池に溜る以外は、東西の海に流失しやすい。 河川から常時一定量の水を得ることが不可能であるので、田畑の水の供給には、水を溜めて 使用するしか方法がなく、人々の苦労を重ねて造った人口貯水池ばかりである。
溜池の水が利用できない丘陵地では、天水を頼りの畑作物が細々と栽培され、 日照りが続けば農家の人々は、桶で水を運んで、枯れるのを防ぐ努力を重ねてきた。

そうした畑を除けば、北部・西部・南部の丘陵地は、未開発の山林が多く、 潅木帯が多かったのである。
ところが、昭和36年に完成した愛知用水によって、丘陵地の様子は一変した。 どこにも水が引けるようになったため、丘陵地は開墾され、スプリンクラーを備えた 果樹栽培、野菜栽培が盛んに行われるようになった。また、臨海工業地帯の整備に伴い、畑が次々と宅地化され、旧六貫山一帯は、瞬く あいだに住宅街へと変化したのである。更に、名古屋市のベッドタウン化する中で、 田までもが住宅地に姿を変え、現在に至っている。
溜池も、愛知用水の影響を受けたり用水路の整備があったりして不要となり、 姿を消したものも少なくない。その代表的な例の一つが西光寺池である。現在は 中央公民館が建ち、グランドが整備されているが、すぐ上手のアサリ池とともに、 貯水・調整の重要な調整池であったのである。』

アサリ池は、今でも付近一帯の雨水等を一時的に貯水し洪水を防ぐ『洪水調整池』としての 機能を担っています。その池の機能を維持するため、隣接する中央公民館・歴史民俗資料館 (旧、西光寺池)とは異なり、アサリ池を埋め立てずに建設し、昭和61(1986)年8月1日に武豊町立図書館が開館しました。
また、武豊懐旧誌 上巻(1928刊)には、アサリ池について次のような記述があります。
『其地附近ノ潅漑用トシテ東西連結スル二個ノ大溜池アリ一ヲアサリ池一ヲ西光寺池ト言フ。又其附近ニ寺坂ト稱スル地名アリ因テ之ヲ考究スルニアサリハ即チアザリノ誤ニシテ梵語ノ阿闇梨即チ規範トナルベキ師僧ノ意。』

知多半島の“アサリ”池とは言え、池では潮干狩りはできませんので、悪しからず。